『パレフランス』

あの日の自分に還る旅、あの日ツアーズ。今回は場所を移して原宿です。

一般的に原宿を象徴するものといえば、ラフォーレ、竹下通り、裏原宿といったところだろうか。でも個人的に思い入れがあるのは、今はなきファッションビル『パレフランス』だ。

僕の体つきは昔からずっと貧相だ。いわゆる既製品の服を着るとだぼっとしてしまい、あまり見た目によろしくない。あるとき人から勧められ、古着にはまった。栄養が足りてなかった昭和時代の服が、体にも古臭い顔にもしっくりきた。これは画期的だった。

パレフランスには『ハンジロー』という古着屋が入っていた。ミレニアムにやたら古着屋が都内に増えたが、その中でも最大級の床面積を誇ったのが、このハンジローだった。

灯りを落とした空間に、鮮やかな色味の“衣類群”がこれでもかというくらいに並んでいる。実はほとんどここでは買わなかった。ゆるゆる店内をほっつき歩くだけでも満足なのだ。今でいうとイオンに行くような、そんな感覚かもしれない。

店員さんがやたら声を出すのも特徴。元気がいい、のともちょっと違う。大音響の中、間延びした大声で「いらっしゃいませ~」と連呼する。一人、カッパのカータンみたいな甲高い声の女性がいた。今でも耳の奥に声色がこびりついているから怖い。

1階には『オーバカナル』というカフェがあった。パリで食べたクロワッサンそっくりそのままの味が楽しめる、僕の中では最高峰の店だった。当時付き合っていた子とサンドイッチを注文し、テラスに座ろうとしたところ、そのおっちょこちょいな彼女は「あ゛!」という声とともに皿上の物を全部落としてしまった。

「あぁ、大馬鹿なる!」などとふざけながら、半分分けてあげようとしたところ、イケメンのギャルソンがすーっとやって来て「代わりをお持ちしますよ」と言ってくれるではないか! 申し訳なさとその心遣いへの感謝で二人とも顔は真っ赤。米つきバッタのように頭を下げ、めでたくお茶開始となった。

この跡地には今度巨大ビルが出来るらしい。あのギャルソンのように素敵な店員さんは来てくれるのだろうか。

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コメント

  1. 横田美登里 より:

    昭和のいい時代でした・・・親がかりのくせに生意気にも愛媛は松山から飛行機で買い物に原宿を闊歩していました。夜は歌舞伎町の黒鳥の湖でショウを楽しみ〆は伝説のディスコ新宿3丁目に繰り出して。ディスコの名前は・・・忘れちゃいましたが。朝まで遊び富士そばを食べて解散する、青春時代の思い出です。昭和31年生まれ、です。パレフランス内、カルティエやカールらがフェルトのブティックに通い詰めました、そのパレフランスが昭和60年ごろには空っぽになっていて驚いたものです、昭和とともに私の青春も終わりました。ディスコ椿ハウスです、思い出した・・・

    • seyanna より:

      なんと楽しそうな! キラキラ(ギラギラ?)のいい時代でしたね。
      ダンスありファッションありで、街に身体的な楽しみがあふれていたころ。
      80年代が改めて注目されているのは、世代を超えて人の心をつかむエネルギーがあるからでしょうね。

      • 横田美登里 より:

        有難うございます。おバカが自慢してちょっとな・・・と思いましたがあれから40年、いろいろあり・・・いい思い出です、私にもそんな時代があったんですね。