『キッチンくりの木』

あの日の自分に還る旅、あの日ツアーズ。今回はかの慶應義塾のお膝元、日吉です。

社会人になって間もない頃、事情があって2年ほど日吉に住んでいた。ずっと電車通学の身分だったから、いわゆる学生街(というにはお上品だが)に住んだのはこれが初めてだった。

さすがに定食屋はより取りみどり。鉄板焼きの『しっぽとら』、正しいサラメシ中華の『栄楽』、家系インスパイアの『らすた』などは足跡が残るほどお世話になった。

中でもよく通ったのが『キッチンくりの木』。焼肉だの、肉野菜炒めだの、正統派の定食屋だ。とりわけ好きだったのが豚肉とニンニクの芽炒めの定食。恥ずかしながらニンニクの芽が食べられるというのは、この店で初めて知った。ご飯が進む絶妙な味付けと、食べるだけで力がわいてきそうな香りは癖になった。

約18年ぶりに『くりの木』を訪ねてみた。というか、まだあるのかを確認しに行った。地下鉄が開通し、駅周辺は様変わりしているが……おおっ!時代が止まったかのような1間半の間口が、まだ残っているじゃないか!

さっそく中に入る。メニューも店内もほぼ当時のまま。でも大きく違ったのは、食券制になっていたことだ。

この店では食事以外に密かな楽しみがあった。会計の際、“下町の美木良介”みたいなマスターが「あざいやした!」と言ってくれるのだが、そこにアルバイトの子が「あしたん」「ぁしたん」と続く。帰り際、したん、したん、したん…と波紋のような響きを背に店を出るのが、何とも心地よかった。でも食券制になっては、波紋の出番も少なかろう。

さて、もうひとつ大きく変わっていたのは、あのマスターがいないことだ。今はどこへ行ってしまったのだろうか。この続きはまたの機会に……

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